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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 378」   染谷和巳

 

美しい経営美しい会社

経営管理講座

 

家にも会社にも絵や書が飾ってある。家は雨露がしのげて食う寝るが満たされれば十分なはずだが、なぜ絵を飾る。家族が同じ絵を見て美に対する感受性を高め、豊かな美しい人生を歩まんがためである。社長は会社に美しい絵を飾る義務がある。自分と社員が美しい仕事をするためにである。

 

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日本の絵画は世界一級品揃い

 

痛い目にあうと予測しながら診察台に座ると正面の横長の絵が飛び込んでくる。

幅一〇センチもある生木の額縁に富士山の絵。雪の部分が赤く下は青。なだらかに裾野が左右に流れ、そのため横長になっている。

小学一年生が描いたこの絵を見る度に「何でこんなのを飾っているんだ」と不愉快になる。

何十回も見せられた後、ついに聞いてしまった。

「立派な額縁ですね」

歯科の院長先生は、よくぞ聞いてくれたと診察前の長広舌。

若い頃からの友人で才能のあるおもしろい男だった。絵を描きはじめてこれから大成するだろうと思っていたら四十代で病死してしまった。その友人が金に困っていたのでこの絵を買ってあげた。あのまま描き続ければ名のある画家になっていたろう。確かに杉の木の額縁ばかりが目立つが、そういう因縁のある絵なのでずっと飾っている――。

説明を聞いてからも絵の評価は変わらない。見る度に患者に見えない所に飾ってほしいと思う。

会社を訪問して応接室で待つ間、壁の絵を眺める。〝いい絵〟だとこの会社はいい会社で社長は立派な人だと思う。美しくないガラクタが飾られていると会社と社長の評価が下がる。一枚の絵が尺度になる。荒田はこの尺度はかなり正確だと今までの経験から自信を持っている。

会社が小さいうちは絵や置き物を飾るゆとりがない。絵といえばカレンダーの名画くらいか。それでも今は印刷技術が優れているのでカレンダーでも見栄えのいい絵がある。こうしたものを飾っている所はこれから伸びる会社だと思う。社長が美しいものを美しいと感じる感性の持ち主であることがわかるからである。

誰でも美しいものを美しいと感じる感性を持っている。

山などの自然の風景や花を見て美しいと感じる。これともう一つ別の感性がある。絵や音楽に感動する感性である。

芸術家の心を込めた作品に感動する。富士山を見て感動するのと、北斎の富士山、横山大観の富士山、片岡球子の富士山の絵を見て感動するのは別の感性である。

音も同じ。鳥のさえずりや虫の音に聞き惚れるのと交響曲を聴いて感動するのは別の感性である。

後者の芸術作品に関する感性が大事。

我我は騙す、奪う、暴利を貪るといった醜い行いを嫌う。こうしたことをする人に背を向ける。反対に正直、与える、助ける行為を美しいと感じ支持する。こうした人のそばにいたいと思う。

美に対する感性を持つ人が経営する会社には美しく生きようとする人が集まる。社員もお客様も取引き業者もその社長の言動に賛同する。

確かに高価なものには美しいものが多い。豪邸、高級車、宝石は美しい。しかし美に対する感動は一枚の絵のほうが勝る。

儲けたお金で美術品を買い集める人がいる。不動産と同じように買った時より高く売るのが目的である。

会員制リゾート会社。お金がじゃんじゃん入ってきた。社長が見境なく絵を買い、廊下に何枚も額に入ったまま立てかけてあった。絵の購入価格は億を下らなかった。未曾有の不景気がきて絵の買い手は皆無。倒産。辞めた社員が一枚ずつ持ち帰ったが、あの絵は今どうしているだろう。

絵は飾って眺め、美を感じて己れの心の汚れを消すためにある。何億円で売り買いされようとそのお金に価値はない。絵自体に価値があるのである。

世界のどの国と比べても日本ほど色彩豊かな国はない。雪山、新緑、桜、小さい草花、紅葉と、春夏秋冬、色が変わる。色を表す言葉も多彩である。こうした環境で育つ日本人の美的感覚は十二色の原色にしか接することができない他国と比べて格段に微妙繊細であり、それは描く絵に反映されている。

明治以降、西洋に行って洋画を学んで大成した画家は多いが、それ以前にも日本には世界の巨匠と比肩する絵師がぞろぞろいた。現在も〝売れない画家〟も含めて、素晴らしい絵を描く画家は日本にはごまんといる。 そうした絵を〝発見〟してさりげなく飾っている会社を荒田は無条件で尊敬する。 美に対する感性を磨くために

 

ルーブル美術館へ行って本物を見なければ美の感性が磨かれないわけではない。

「モーツアルト」などの芸術評論で有名な小林秀雄が言っている。

「ゴッホの生誕百年祭でアムステルダムに行きまして、その原画を見たのです。ところが感動しないのですね。複製のほうがいいですわ」(「人間の建設」新潮文庫)

ゴッホの複製画を見て感動して「ゴッホ論」を書いた。その後本物を見たが、複製のほうが作品として出来がいいと思ったという。人間の眼はそんなによくできたものではないし、その時の体調などにもよる。贋作〈にせもの〉と本物の問題で世の中は騒ぐがてんで見当が違うことだと思うと言っている。

印刷や複製の技術が向上して、いつでもどこでも美しい絵を見ることができる。

美に対する感性を磨く手っ取り早い方法は美しい作品に数多く接することである。クラシック音楽なら手当り次第に名曲を聴く。絵画なら世界や日本の美術全集を繰り返しじっくり眺める。

荒田は審美眼があるほうだと自負している。小さい頃から雑誌に折り込まれている名画が好きで西洋画だけでなく坂本繁二郎の「馬」や岡田三郎助の美人画に魅せられ、自前の画集を作っていた。また家に誰もいないことが多かったのでラジオのクラシックの名曲にチャンネルを合わせていた。ただ聞き流しているだけだったが、いいものをいいと感じられるようになった。

美術館に名画がやってきても並ぶのと混雑するのがいやで行ったことがない。シンフォニーの演奏も往復の時間がもったいないので滅多に聴きに行ったことがない。荒田の感性は小林秀雄の言うコピーによって培われた。 自分の体験から荒田は「たくさん見る、たくさん聴くことが美に対する感性を養う」と人に勧めている。

 

 

 

才能ある美術家を応援する

 

ある会社。玄関、廊下、応接間などいたる所に同じ画家の絵が飾ってある。地元の画家のものだという。営業所や工場なども含めると二十点以上になる。

毎年一点、画家が恐縮する高値で購入している。社長がその画風を気に入っているということもあるが、〝応援〟の意味合いのほうが強い。画家が創作活動を続けられるよう援助しているのである。一種の寄付行為である。

芸術は王侯貴族の庇護で栄えた。ミケランジェロなどルネッサンスの巨匠は大銀行家や教皇が保護者となり、モーツアルトは宮廷音楽家として禄を食んだ。天才はこうしたパトロンのおかげで創作に集中することができた。

日本でも平安時代の昔から琴棋書画は貴族の嗜みとされ、その道の達人は貴族や大名に厚く遇された。

徳川幕府は絵師、楽師、棋士、書道家に武士と同じ石高の禄を与えて〝おかかえ〟にした。

物心両面にゆとりのある人が芸術家を保護育成援助するという風習は現在も続いており、さきの社長のように、商売っ気抜きで援助する人はたくさんいる。

荒田も一度まねをしたことがあった。

元社員のグラフィックデザイナーが個展を開いた。見に行って「代表作」を買った。買ってあげたと言ったほうが正しい。貧乏芸術家を助けてあげる気で三十万円出した。

事務所に飾ろうとしたら、社員が「気持ち悪いからやめてくれ」と言う。凹凸の画面に青い絵の具を叩きつけた抽象画である。倉庫にしまわれていたが、いつの間にかなくなった。誰かがゴミとして処分したらしい。

芸術作品は自分がいいと感じたもの、惚れたものでなければ大事にする気になれない。作品は味わうもの、長くそばに置いて堪能するものだとつくづく思った。以来、荒田は人助けのために絵を買うのはやめた。

画家だけでなくバイオリンやピアノの演奏家も世界のトップレベルの人がたくさんいる。工芸品や焼物作りの国宝級の職人も多い。

美しい風土と美を表現する一級の芸術家が揃っている日本である。人々は美に対する感性を備えている。よって会社も美しく経営されなければならない。

社長は美しいか醜いかを判断の基準に、経営の尺度にすべし。