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畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 299」 畠山裕介

 

千利休、秀吉を侮る

 

-ナンバー2(26)-

 

千利休は日本における茶道の一大権威である。信長に認められ、信長と秀吉の茶頭になり、その道を極めた。

秀吉の天下では、側近として政治にも深く関わった。秀吉の弟秀長は、九州の実力者、大友宗麟〈そうりん〉に囁いた。「内々のことは利休に。公儀のことは私に」と。利休は太閤の心をつかんでいた。

利休絶頂の時、秀吉の逆鱗に触れ切腹を仰せつかる。なぜか。理由は諸説ある。

大徳寺の門の改修で利休は自分の木造を楼門に置き、その下を天下人(秀吉)に通らせた。

わびさびの利休と豪華主義の秀吉は、茶道の考え方で対立した。

自分の政策に批判的な利休の増上慢を、秀吉は許せなくなった。

茶道の権威を利用して、利休は莫大な私腹を肥やした。

権力者である秀吉と、芸術家である利休の自負心の対決。

真相はいまだに闇の中である。トップとナンバー2の関係で見ると新たな視点が生まれる。中小企業で長年幹部をしている人は自戒が必要である。

利休を見出したのは信長である。

信長は茶道を、政治の大きな道具として活用した。諸大名たちは信長に頭を下げ、ついでに側に仕える利休にも低頭した。利休は自分が偉くなったと勘違いした。

信長が本能寺で死んだ。秀吉が天下を獲った。

秀吉は茶道の扱いも、主君信長のやり方を真似た。利休は秀吉の天下でも茶頭をした。

秀吉はおのれの卑しい出自を知っていた。密かな劣等感もあった。天下人という権力を手にし、立場にふさわしい知性、教養、風雅を求めた。だから利休に礼を尽くし、師として遇した。特別扱いもした。

利休はここでも勘違いを犯す。そしておのれの名声や権威が高まるにつれ、胸のうちに隠していた本音がそろりそろりと出てきた。

利休は秀吉に対し、抜きがたい侮辱の感情があった。「なにが天下人だ? おまえさんなんざ、尾張の水呑み百姓の出じゃないか。なにが茶だ。なにが風流だ」というひそかな侮りがあったに違いない。

言葉にはむろん出しはしない。

しかし目の端に、唇の端にそれらが現れていただろうことは想像に難くない。

秀吉は成り上がりだが、人を見る目は本物だった。利休の膨らみつつある増長を見逃すはずがない。ひょっとすると利休は秀吉以上に思い上がっていたかも知れない。

繰り返すが、中小企業の幹部には利休のような勘違いを犯す人間が多い。ナンバー2は絶対にトップを侮ってはならない。その感情を持った瞬間から、自分を見失う。そして、例外なく転落する。