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畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 303」  畠山裕介

 

摂政 聖徳太子

 

-ナンバー2(30)-

 

日本の歴史上もっとも偉大で、人びとの尊崇を集めた人は誰か。人気投票したら、一位は聖徳太子だろう。

五九三年、日本初の女帝たる推古天皇が即位した。聖徳太子は摂政に就いた。総理大臣みたいな役職である。

推古天皇は太子の叔母にあたる。容姿端麗で、謙虚な人柄。さらに頭脳明晰で、政治感覚がすぐれていたらしい。

だが、国内は蘇我〈そが〉氏、物部〈もののべ〉氏ほかの豪族が権力争いに明け暮れていた。国外では大国隋との難しい外交問題が山積している。

「朕は女人なり。性、物を解〈わきま〉へず。宜しく天下の政は、皆太子に附くべし」

私は女で愚かだから、政治はすべて太子に任せるという意味である。賢いトップである。

そして推古天皇は国家建設について一貫したビジョンを持っていた。それは天皇を中心にした中央集権国家の実現である。

さらに清廉な人格が際立つ。ある時、最大実力者の蘇我馬子〈うまこ〉が葛城〈かつらぎ〉の土地の支配権を天皇に望んだ。天皇は「あなたは私の叔父ではあるが、だからといって公の土地を私人に譲ってしまっては、後世から愚かな女と評される。あなたもまた不忠者と謗られよう」と拒絶したという。

太子が天皇に忠誠を誓ったのは壮大なビジョンと、公正無私の人柄によるのだろう。

摂政としての太子の活躍は歴史教科書が教えるとおり。

冠位十二階を定め、派閥主義でなく、能力主義の人事制度を敷いた。

本邦初の成文法たる「十七条憲法」を作り、〝和〟と議論の重要性を説いた。かつ諸豪族たちに、天皇の臣下としての心構えを示した。

仏教を導入した。その後千五百年、日本人は仏道により心の平和と安寧を手に入れることになる。まさに偉業である。

外交面では大国隋との交渉に命を削った。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙〈つつが〉なきや」

書を見た中国の皇帝煬帝〈ようだい〉は激怒した。聖徳太子は自分のことも相手のことも「天子」と呼んでいる。私と(日本)とあなた(中国)は対等だと言っている。

煬帝はそのことに烈火のごとく怒った。しかし中国は日本に攻撃をしかけることはできなかった。日本は、大国中国と対等な関係を作り上げたのである。

日本初の女帝推古天皇の治世はなんと三六年間に及んだ。

飛鳥時代は日本国が文化、文明、芸術、宗教などあらゆる分野で大飛躍を遂げた時代である。

聖徳太子は推古天皇の描くビジョン実現のため、三〇年間補佐役として走り続けた。