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コラム『講師控え室』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

2020年9月号「講師控え室 135

 

とあるカレー店の店主が、ほとほと困っている。店主はネパール人である。

「日本人が使う、大丈夫と言う言葉がわからない。イエスにも、ノーにも使うので、判断が難しい」

この記事を読んで、なるほどなと思った。日本人がごく当たり前に使い分けている、この「大丈夫」という言葉も、他の国の人から見れば違いが分かりにくいのだ。

例一。店主が「辛口カレーは食べられますか?」と聞くと、客は「大丈夫です」と答える。この答えはイエスで、辛口でも問題なく食べることができるという意味。日本人の八十六パーセントがイエスの意で使う。

例二。「ナンのおかわりは食べられますか?」に対して、もう十分食べたという意味で「大丈夫です」と返す。この場合は、ノーの意味である。六十三パーセントがこの使い方をする。

例三。「当店のナンは大きいですが、おかわりは食べられますか?」と聞くと、「大丈夫」をイエスの意味で使う人が五十七パーセント。意味が反転してしまう。この使い方は日本人にとっても難しいようで、ノーの意味で使う、もしくは判別できないと回答したのは四十三パーセントであった。

「大丈夫」という形容動詞は非常に便利な言葉だ。必要・不要、可・不可、諾・否の意味で問いかけられ、また答えることができる。しかも、否定や拒否の言葉に代用できるため、やんわりと意志を伝えることができ、相手に〝空気を読ませる〟ことで会話を成立させることができる。物事をはっきりと表明しない、あいまいなままにして判断を相手に任せる日本人の慎しみ、奥ゆかしさの一つの表れとも言える。

しかし、本当にそうだろうか。物事をはっきりさせないことが日本語らしい特徴というのは、本当のことだろうか。

先日、上司が興味深い話を聞かせてくれた。

「英語圏では、上下関係をあまり重要視しない。兄も弟もブラザーだし、先輩後輩を示す言葉もない」

上下関係だけにかかわらず、日本語には相手との関係性を表す言葉が数多く存在する。その反面、個人の主張が不得意であるとされる日本語だが、その一人称の多さは他の言語と比べても類を見ないだろう。私・僕・俺、わし、手前、…。

本来日本人は自分の意見を相手に正確に伝える言語習慣を身につけていた。「大丈夫」という相手任せの言葉は恥ずかしくて使えなかった。こうした言い方が定着したのはアルファベット二十七文字でできている英語の勉強のせいではないかと私は邪推するのだが。(坂本利江子