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人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 309」  畠山裕介

 

ミサワホームを潰した御巣鷹山事故

 

-ナンバー2(36)-

 

ミサワホームといえば、一時期建設業界の風雲児だった。創業者は三澤千代治〈ちよじ〉。昭和四二年に会社を立ち上げた。わずか四年後、三三歳の若さで株式上場を果たした。

飛躍的な発展のカギは、ユニークな経営手法。地域の工務店との協力関係をうまく活用した。

住宅の製造や販売は、提携した工務店に全面的に任せた。ミサワ本体は全体のコーディネーターとして機能することに徹した。こうして提携した会社や工務店をどんどん増やした。提携先をすべて地域子会社にして、経営規模を拡大した。

創業から十八年、提携先の数は全国で約一万四千店に及んだ。老舗の積水ハウス、大和ハウスに次いで業界三位の座に躍り出た。飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

三澤社長には創業時からの盟友で、有能な補佐役がいた。山本幸男専務。高校時代からの親友である。

二人の性格は正反対だった。三澤の頭脳は理系で、鋭いが融通が利かない。山本は文系で、一見のんびりしているが清濁併せ呑むタイプ。三澤は下戸で、カラオケもやらない堅物。山本は酒好きで、宴会もカラオケもよくやった。

性格は、仕事の分担にもあらわれていた。三澤は技術一筋、山本が営業と財務を担当した。業界や外部とのつきあいは、三澤に代わってほとんど山本がやった。

トップとナンバー2の得意ジャンルは相互補完が理想である。これはホンダの本田・藤沢、ソニーの井深・盛田の両コンビにも相通ずる。

さらに三澤・山本コンビの特徴は、専務の山本が社長の三澤のやり方によく異を唱えたことである。社長の意思決定にも、よく反対意見をはさんだらしい。

頑固な三澤も、山本の意見だけは辛抱づよく聞いたという。

「山本は決定までのプロセスでは言いたいことも言い、よく反対もしました。そして私に修正をさせておいて、最後のところは私の言うとおりにする。こうして会社経営のバランスが取れていたのです」と、こんな旨を三澤は語った。

悲劇は突如やってくる。絶頂期の昭和六〇年、山本は不慮の死を遂げる。御巣鷹山〈おすたかやま〉のJAL機墜落事故である。享年四八歳、若すぎる死であった。

山本亡きあと、三澤にはナンバー2がいなくなった。そして会社は実質的に組織を束ねる大番頭を失った。技術者の三澤には、生前の山本が担当した営業や財務は荷が重すぎた。バブル崩壊とともに莫大な評価損を抱え、会社は頓挫した。その後、ミサワホームはトヨタホームの傘下に入った。

社員何千人という大会社でも、トップ二人がこければ会社全体が崩壊する。会社経営のおそろしさを実感させる実例だった。