株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 416」   染谷和巳

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捨てたものを見直す時

「元始、女性は太陽であった」は平塚雷鳥の言葉だが今も女性は神様である。その尊い女性を同じ土俵で男と相撲をとらせて何かいいことがあるのか。男と女は平等だというタワゴトはもうやめよ。男は男らしく、女は女らしくを復活せよ。これがなれば少子化の勢いはやみ光明がさす。


家長中心の家族解体が進んだ

少子化の第二の原因は家族の溶解である。

教育勅語にこうある。

「よく忠によく孝に億兆心を一つにして 世々その美をなせるは これわが国體(こくたい)の精華にして 教育の淵源(えんげん)また実にここに存す」。

国體とは万世一系の天皇を民が仰ぎ見て忠を尽す国柄、そして末端では子が親に孝をなす強い家族の絆を有する国柄をいう。

家族とは一つ屋根の下でみなが一緒に食事をするという日常で成り立つ。そこに情による深い結びつきが生じ、親から子、子から孫へ命を繋いでいく。

〝家〟は家族一人ひとりの自由を束縛する重いものであった。

森?外の「阿部一族」は家を守るために一族郎党討死して果てる実話に基づく小説である。納得できない役職降格に隠忍自重することができず、家に立てこもって藩主の討手と戦って全滅する。

こうして代官職だった阿部家は消滅する。家の名誉を命をかけて守る。家のために死ぬ。これを一概に軽挙妄動と片付けてはいけない。阿部一族をここまで追い込んで殲滅(せんめつ)した藩主にも問題がある。

記録があったので今に伝えられたが、こうしたお家騒動は何万件もあったと思われる。家は重いものだった。それは商家でも農家でも同じである。

東北などの農家では飢饉(ききん)になると人減らしと家計を扶(たす)けるために娘が身を売った。江戸吉原の遊郭の遊女になった娘もいる。

自分を犠牲にして家を守るのが民の道徳として、また生き延びる智恵として浸透していた。

今の憲法では「結婚は両性の合意による」とあるが、男と女が「結婚しよう」「しましょう」で夫婦が成立するようになったのは最近のことであり、以前は家と家の合意がなければまともな結婚はできなかった。

相手を親に紹介して認めてもらう。これにより家と家が親戚関係になる。親が許さない結婚は家と縁を切って孤立して世帯を持つしかない。

家というくびきがなくなり自由になった二人は、家や親を畏れることなく自分の判断であっさり別れることができるようになった。

明治三十一年(一八九八)制定の民法に〝家長制度〟が規定された。憲法がなかった江戸時代に慣習として行われていた、一家の主人の強い権限や長子相続を民法ではっきり明文化した。家の存続と繁栄の責任を家長が負う。そのかわり家族を統率し指導する権限を付与するという法律である。

明治時代の父親はこわかった。威厳があった。妻子は家長の言うことに従った。

家長は子が結婚して子を残すことを期待した。結納金を積み、結婚式費用を全額負担し、まだ収入の少ない若夫婦に金銭面の援助をした。子ができれば諸費用を負担した。

二十五歳で結婚し二十六歳で長男をもうけた荒田の場合もこうだった。中学の同級生に聞いたがみな「同じだ」と答えた。昭和の中期である。家長が家の存続を願って子に結婚を勧め、結婚相手を探し、子の新婚生活のスタートを祝福し、「子ができました」という報告を泣いて喜んだ。

この頃まで家長制度は日本人の心に常識として残っていた。

昭和元年(一九二六)生まれの人は今九十七歳。明治憲法になじんできた人はほぼ絶えた。アメリカ製新憲法下で育った人が主流になった。

家族はみな平等、母も子も父親の前でかしこまらなくなった。友だちのように仲よしになった。父親もそれが当然と思っている。

結婚しない自由、子を産まない自由が尊重された。息子、娘に苦言を呈し強制する家長はいない。

こうした状況が五十年続いている。これから五十年もまた同じだろう。少子化は家長制度の廃止、よき家族関係の溶解が一つの原因である。


いつの時代も女が神様だった

かつての家長制度を復活せよというのではない。

日本人は〝いいもの〟を平気で捨てる特性がある。

そろばんを捨て座禅を捨てた。戦後は難しい日本語を捨てて英語とローマ字を国語にする動きがあり、朝鮮戦争がなかったらこれが実現していた可能性がある。

最近は日本的経営の美点である終身雇用制、年功序列、人材育成を捨てて、アメリカ流能力主義に傾斜する会社が増えている。

古いものを捨てて新しいものに変えるのはいいが、新しいものが捨てたものより劣っていては本末転倒。

家族の絆をほどいてばらばらの個人にしたメリットは何か。

自由でのびのび個性が発揮できるだと? 自分の夢を実現するために、個人を縛りつけてはならないだと?

ノーベル賞受賞の日本の科学者の大半が家長制度のもとに育った。父親を敬い妻子を大事にする家族中心主義者だった。

日本の財産である有能な技術者群も旧式の家長制の家で育ち、自らそれを踏襲している。支え、支えられる家族なくして優れた仕事はできないのだ。

新聞に「こどもまんなか社会」の見出しがあった。

子を生みやすい育てやすい環境を作ろう。そのための援助を国は惜しまないという主旨である。少子化を止めるには何ごとも子ども中心で考えようということである。

お金の面で優遇するのはよしとして、それだけで済む問題ではない。家の中で子どもが一番偉い、子どもの言うことに従えとなる。

今すでに親は子を叱れなくなっている。子は苦労を厭(いと)い、好きなことだけをするが親は黙って見ている。ついには高額のアルバイト料にひかれて強盗をして息子はつかまる。親は「どうしてこんなことに」と泣く。

かつては〝親父の小言〟で「子の言うこと八九聞くな」と教え、親は子のわがままを許さなかった。子は親に従いやがて社会の秩序に従う分別を身につけた。今はこの反対の「子どもまんなか社会」になった。

繰り返すがお金で少子化は止まらない。さらに政府は〝女性活躍社会〟で会社の役員比率を女性三〇%以上にと煽(あお)っている。女性政治家や役員を増やす方向が少子化を促進するとは思わないのか。

男と女は違う。平等ではない。女は子を生むという使命がある。これは人類の最高の価値ある使命である。子を生む女は神様である。神棚に祭って崇めよう。この使命を果たそうとする女を阻止しようとする奴等を廃除しよう。子を生む女に経済的援助はもちろんだが、それよりも価値観を変えること、意識改革のほうが先であり大事である。

天照大神の時代から女は偉かった。江戸時代も軍事国家だった時代も女のほうが偉かった。

家長制度のもと、女は男のかげにかくれ、慎み深くしていたが、女が一言口を開けば男はその言うことをよく聞いた。

戦後アメリカの指導で男尊女卑だ、男女平等だ、女性に参政権をと革新系の活動家が叫びはじめ、それまで子を生み育て家庭を守っていた静かな女性にまで伝染していった。

この道を歩き続けて、今結婚しない、子を生まないが社会現象となり、人口の極端な減少という終局を迎えつつある。


便利で豊かな生活を続けると

少子化の第三の原因は心身の虚弱化である。

現代人は添加物などの化学物質を摂取する食生活、清潔志向、脚腰を弱くする椅子生活や車社会などによって体力が落ち、体が弱くなっている。

また長時間スマホをいじって何もしていないのに何かしている気になる錯覚。子供は学校や幼稚園では運動するが、それ以外の時間は子供同士走り回って遊ばない。区役所は拡声器で「六時になりました。外で遊んでいるお子さんはオウチに帰りましょう」と毎日諭しているが、外で遊んでいる子を見たことがない。家では掃除、片付け、親の手伝いをしない。強い体ができるわけがない。

親に叱られたことがない。欠乏を知らない。努力と苦労は勉強以外では体験したことがない。そのため忍耐力や我慢強さは身につかない。少しやっかいな問題が起きるとすぐ逃げる。自力でぶつからずにまわりに助けを求める。こうしていくつになっても自立できない弱い心の持ち主になる。

雄は闘って強さを誇り、羽根を広げて踊って雌の関心をひく。雌は強い雄を選ぶ。人も同じ。〝種族保存の本能〟が強い因子を残そうとする。

現代人はその本能が衰弱している。心身虚弱の若い男女はもはや異性を求める気力もない。


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