アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 376」   染谷和巳

 

口約束が成立する社会

経営管理講座

 

口約束で大きい取引きや商売が成立する。これは日本的経営の特性の一つである。信用がお互いの根底にあるからこそ成り立つ。人を信じない契約主義の欧米や甘言とウソと隠蔽〈いんぺい〉の習近平独裁国は真似できない。家族的血縁社会、万世一系の信頼関係が約束に対する強い基盤を作り上げた。

 

    PDF版は右の画像をクリック⇒

 

締め切りを守らないライター

 

雑誌社の編集長にほめられたことがある。

月刊誌に毎月四百字十枚ほどの文を載せてもらっていた。各界の指導者との対談を二年間はさんで二十年近い連載である。

「締め切りに一回も遅れたことがないのはあなただけです」と編集長。

「え? 締め切りは遅れてもいいんですか」「いえ、締め切りまでに原稿をいただくのがきまりです。ですがいろいろな事情で間に合わない人のためにゆとりをとっています。制作上のタイムリミットは五日後、これまでに原稿が入れば予定どおり発行できます。ライターはこれを知っていて締め切りを過ぎてから原稿を送ってきます。ほとんどみんなそうしています」

「それを知っていたら私も締め切りに追われないで済んだのに…」

「こんなことを言っては失礼なんですが、締め切りに遅れて、私どもに催促されてから届く原稿はいいものがない。例外なくおそまつです。読者に一番評判がいいのはあなたの講座『社長業の鉄則』です。編集も営業もあなたを有難い存在だと言っています」

口だけでなくこの雑誌社は荒田の原稿に四百字一枚一万二千円の原稿料を払った。一枚三千円五千円が相場で、一流にならないと一万円は超えないといわれた時期にである。

締め切りを守るのは当り前のことと思っていたが、作家やライターの大半が守っていないとこの時初めて知った。

そういえば「サザエさん」に出てくる作家のいささか先生はよく原稿の催促にきた編集者を隣室に待たせている。あれは締め切りに追われる長谷川町子自身の日常の姿なのだろう。読者が喜ぶ漫画を毎日提供するというのは並大抵のことではない。四コマ漫画を新聞に毎日掲載するには強靭な精神力体力そしてアイディア力がいる。その点で故人の長谷川町子と現存の植田まさし、岩谷テンホーは天才であり、荒田は三人を〝偉人〟として尊敬している。

社会は約束を守ることで成立している。

人と人との間には時間の約束、お金の約束、頼まれたことを行う約束、そして法や規則に従うという社会との約束などがある。

「約束を守る」で誰もが頭に浮かべるのは「走れメロス」ではないだろうか。太宰治はこの小説を古代ギリシャの伝説とドイツの詩人シラーの詩を基に書いたそうである。

反逆罪で死刑を宣告されたメロスは、執行を三日間待ってくれと頼む。三日で戻らない時は親友のセリヌンティウスを身代りに処刑するという条件を受け入れる。親友はメロスが戻って来ると信じて疑わず牢に入る。

妹の結婚式を無事に終え帰途につく。まだ二日ある。何事もなければ一日で城に戻れる。川の氾濫や盗賊に襲われるなど予想外の出来事に合い疲れ果て一歩も前へ進めない状態に陥る。「もうだめだ、親友にはすまないことをした…」。諦めかけたその時、岩の間から出ている清水を見つける。それを飲み最後の力を振り絞って走り、友人が処刑される寸前に到着する。王は親友だけでなくメロスも共に釈放する。

以上が粗筋。人は皆悪人だと人を信じない王、メロスが戻って来なければ代りに処刑されるのを覚悟して牢に入る親友、王と親友の約束を命を賭けて守って処刑の場に戻り着いたメロス。

命よりも約束のほうが大事、人の心を信じることのほうが大事という価値観に王は衝撃を受け改心してメロスの罪を許す。

「約束を守る」の重みは欧米と日本ではかなり違うようである。

キリスト教の結婚式では「愛しますか」「信じますか」「では誓ってください」と二人に誓わせ誓約のためのエンゲージリングを交換させる。ここまで露骨にしないと約束がすぐ破られてしまうからである。欧米では人は信用できない、約束しても守られない可能性があるという考え方が一般的である。

今は日本人も「誓いますか、では誓いのキスを」などとやっているが、荒田が結婚した時は三三九度だった。

日本では結婚は家と家が親戚になる〝結納〟のほうが重大で、若い二人に口頭や書面で誓わせたり拘束の指輪をつけ合うといった児戯に類する儀式はなかった。

個人主義の国では約束はあくまでも個人の責任。だから「守れ守れ」と声に出し紙に書いて言う。いくら言っても守らない人が多いから「走れメロス」が感動的な話になる。

家族中心、集団主義の国では、約束を守らないと相手に謝るだけでは済まない。家族に累が及ぶ。所属する会社や社会も責任を問われ信用を失う。そのため「約束を守る」は〝生きるために食べる〟と同じ程度、〝生きるために約束を守る〟と言っていいほど自然に身についている。

 

 

契約社会とは違う口約束社会

 

荒田の父親は八百屋であった。食堂や得意客の何件かは掛け売りをしていた。ツケである。帳面につけた金額を合計して月末に請求していた。

会社は支払日を勝手に決めてまとめて払ったり何ヵ月後の手形を出したりしてツケ払いをしている。小売店でもツケをしているところはある。

江戸時代の中期までは全商店、全お客がツケであった。お客は銭を払わずに買い、店にはお客の帳面がずらりと並んでいた。

ツケは信用があって成り立つ。お客にとっては借金である。払わないこともできる。夜逃げはこの借金が払えなくて起きた。借金を信用で払った。お店やまわりの人の信用をなくして夜こっそり行方をくらました。

夜逃げは余程のことで実際の数は少ない。第一逃げて行く場所がない。アテもない。江戸時代の庶民は外国はもとより隣の藩にも引越しできなかった。だから無理しても借金を払った。

日本人は信用で生活してきた。約束を守らないと生きられない仕組みの社会に慣れ親しんできた。約束を守ることによって人から信用され、その信用を元に収入を得ていた。

欧米は契約社会である。人を信用できないから何でも契約書を交わす。結婚まで契約書である。

日本にも昔から申込書や借用書などの契約書はあったが、小さい契約も大きい契約も大半は〝口約束〟だった。お互いの口から出た言葉で事は決定した。会社と会社の社長同士の商談でも「やりましょう」「わかりました」で決まり実行に移された。書類のサインや印は〝念のため〟であり、それよりも相手の口から出た言葉のほうを重く見ていた。

「この人がやりましょうと言ってくれたのだから間違いない」と疑わない。「大丈夫なのか」と聞かれても「はい、武士に二言はないです」と信じ切る。

言った方も口に出して言った以上は障害を乗り越えてその約束を果たす。

この口約束が契約社会より時間と労力の無駄を省き、迅速な問題解決や新しい挑戦を可能にしてきた。日本は口約束が成立する稀な国である。

 

 

軽い気持でしても約束は重い

 

上に立つ人は特に発言には慎重になったほうがいい。

第六十九代総理大臣大平正芳は「アーウー宰相」と言われた。質問してもてきぱき答えず、あーうーで何を言っているのか解らない。

自分の口から出る言葉が国を動かす。国の将来を左右する。軽軽に答えてはならないという〝賢明な戒め〟がアーウーになった。

誰でも酔っぱらうと口が軽くなる。荒田は二人子を作った社員に「エライ、これで人並みだ、三人作ったらお祝い金百万円出そう」と言った。

部下は上司が言ったことをよく覚えている。その部下は二年後三人目の子を作り、生まれた後に荒田のところに名前のメモを持ってきた。荒田は二年前に自分が言ったことを全く覚えていなかったので、「よかった、おめでとう」と言った。部下はニヤニヤ笑って待っている。

そばで見ていた総務部長が「三人生んだら百万円ですよね」と二人に言う。部下はうなずき、荒田はキョトンとしている。

「納会の席で言いましたよね、私は聞いていました。思い出してください」と部長。部長は社員に「賞与の時を楽しみにしてください」と言った。

社長は口に出して言ったこと、約束したことは、たとえ軽率だったにしても、後になって誰かに反対されたとしても、守らなければならない。一度失った信用は回復できないと思ったほうがいい。

 

 

経営管理講座291で紹介された書籍