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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 372」   染谷和巳

 

正常な上下関係を保つ

経営管理講座

 

精神を病んで学校を休んでいる教師が全国に千人近くいるという。過労で病気になった人もいるだろうが、多いのは生徒による先生のいじめ、先生同士の間でのいじめが原因だろう。会社でも上司の部下いじめ、部下の上司いじめ等が組織の要の上下関係を壊してしまう大きい問題になっている。

 

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いじめと上司の指導の考え方

 

中高生のいじめの定番は無視、しかと、仲間外れである。される側の精神的苦痛は計り知れない。うつ病、不登校、引きこもり、時には自殺にまで至る。

大人の世界でも似たことがある。

アメリカの大企業に勤めていた日本人の女性が「会社は社員教育を全くしてくれない。上司は何も教えてくれない。これが当たり前です」と言っていた。配置換えになった時、上司は異動辞令をポンと渡すだけで「ご苦労様」も「頑張れ」もない。自分は嫌われているのかと思った。引き継ぎが一切なく、新しい部門でも上司は仕事の仕方の詳しい説明はしてくれなかった。質問しても迷惑そうに最低限答えるだけ。女性はせっかく入った高収入の会社を一年足らずで辞めて日本へ戻ってきた。

逆もある。やはりアメリカの会社。上司が休んだ部下の仕事を進めた。そうしないと自分の仕事ができないで困るからである。部下は「私の仕事を奪った」と裁判所に訴えた。

確かに労働契約に部下の職務職責が明記されており、たとえ上司でもその部下の同意なくその仕事をしてはならないことになっている。よって裁判は部下が勝った。会社は部下に謝罪金を払い上司を譴責〈けんせき〉処分にした。

上司も部下も決められたことだけをし、それ以外のことはしない。もし部下が決められたことをしなければ処罰すれば済む。考えてみればこのほうが気が楽である。部下は上司に気を遣わなくていいし、上司も部下の努力や意欲を心配することはない。仕事の結果だけ見て評価すればいい。

おそらく日本に進出している外資系の会社でも同様なことが行われているのだろう。

日本の会社は違う。特に中小企業では上司と部下は〝人間〟として向き合っている。礼儀など上下のけじめがある。忠誠心、連帯感、遠慮やライバル意識、体面とメンツといった古くからの日本人の習性も生きている。好き嫌いの感情や尊敬軽蔑といった心の中まで関わっている。

アメリカ流をクールとすれば日本流はあたたかい。アメリカ流は契約とルール一辺倒だが日本流は無駄が多く面倒くさい。しかし日本の会社では、一見仕事と関係なく見える人間的部分が実は仕事を円滑に進め、仕事の成果を上げる大事な要素になっている。

能力主義の会社では人格に大きい問題があっても上司が務まる。日本の一般の会社では上司は能力以上に〝人間性〟が優れていることが求められる。部下の指導、管理、統率は技術的能力だけでは十分ではない。部下は自分の上司をつねに「人間としてどうか」を値踏みして向き合っている。軽蔑する人の言うことは聞かないし、身を入れて仕事をしない。

いじめはこの日本的な感情の分野から発生する。

部下が「パワハラだ」と反撃できる時代になった。

訴えてパワハラが認められても、この人はスポーツの勝者のように誇らしく胸を張って元のポストに戻ることはできない。

上司に人格上の欠点があって何の落度もない部下を怒鳴りつけるケースは一%。会社はこの上司を罰しなければならない。九九%は部下の怠慢、反抗、不注意を許せず叱るケースである。度が過ぎるということはあろうが、部下にも負い目はある。労働基準局は味方になってくれるが、たとえ職場復帰しても会社と上司と仲間はこの部下を、もうチームの一員と認めることができない。

上司に叱られるのは〝鍛えられる〟こと。それに耐えて乗り越えて人は成長する。それを「パワハラだ」と言って逃げる者、反抗する者はいくつになっても〝一人前〟になれない。会社が期待する人材になることも尊敬される大人になることもない。

 

 

 

軽蔑される人がいじめられる

 

学校の運動部はコーチが部員を指導できなくなった。殴る、胸ぐらをつかむなどの暴力はもちろん、練習メニューを行わない者や指示に従わない者に対する「帰れ!」「辞めちまえ!」など精神を叩き直す〝暴言〟も許されない。未熟な部員の自主性のほうが尊重されるので、チームはお遊びクラブになりはてる。PTA、学校、マスコミが部員の肩を持ちコーチを犯罪者扱いした。熱血指導の監督コーチは絶滅した。

会社も同じ。令和四年四月から中小企業で施行される「パワハラ防止法」では「重大な問題行動に対して一定程度強く注意する」行為はパワハラに該当しないとしている。しかし部下が「〝一定程度〟を越えて叱られた」と訴えれば労働監督署はそれを認め上司の反論は聞かない。かくて上司は部下指導を止めて、アメリカ流のクールな上司になるか部下に阿〈おもね〉る卑屈な上司になる。

また学校で生徒が先生をいじめるケースがあるように、会社にも部下が上司をいじめるケースがある。

部下の上司いじめは陰湿である。挨拶の仕方やちょっとした態度表情に「あなたを上司として認めていない」ことを発信する。指示は「はい、かしこまりました」と素直に受けるが、指示どおりにしない。だらだら行う。間違える、遅れる、それを報告しない…。

上司は部下の反抗をうすうす感じてはいるが、正面から追及できない。「あいつは私を軽く見ているのではないか」とうじうじ思い悩んでいる。「嫌われているようだ、信頼されていないようだ」と暗い気持ちになっている。上司としてのプライドがずたずたになる。

このように部下にいじめられる上司はまだ救いがある。部下の完全な友だち仲間になって会社や社長を攻撃する上司よりはマシだからである。自分は「上に立つ人だ」という自覚があるからである。部下がそれを認めない行動をするからストレスに陥る。

では部下はなぜこの上司をいじめるのか。いじめられ上司の大半がその原因を把握していない。

原因は上司の人間性である。人格、人間力という人もいる。部下だけでなく他人から信頼され尊敬される人間性がない。人から軽蔑され嫌悪される人間性の持ち主。仕事の能力や技術ではなく、〝人間のデキ〟である。上に立つ人としてふさわしい人間かどうかである。

軽蔑する人に人は近寄らない。関わりを持ちたくないと思っている。その人が自分の上司ならその人にとって小さくない人生の不幸である。距離をとりたいが上司だからそれができない。そのため、「本当はあなたの顔もみたくないんだ」という気持ちを態度のはしばしに表して抵抗する。これが部下による上司いじめの実情である。

優れた人間性の上司は部下育成を任務と心得ており、注意する叱る、認めるほめるを適宜行っている。人を見る目があり適正な評価をする。仕事の技術以外でも知識教養人格面で社会から〝立派な人〟と認められている。

いじめられ上司は、自分の欠点を知って矯正し、自己啓発によって視野を広め歴史観を養い、上に立つ資格を備えない限り、部下の軽蔑は消せない。

 

 

 

上司は部下のわがままと戦え

 

上意下達の組織の基本ルールの影が薄くなり、自立、自主性が勢力を増している。

自分で考え自分で判断するのが人間の幸福な生き方だといって、社員を自由でのびのび仕事をさせている会社もある。それができてしかも業績が好調というところは、恵まれた商品、恵まれた市場を持つ数少ない恵まれた会社であろう。

「あそこが成功しているのだからウチも」とマネして、命令報告なし、規則規定による束縛強制なしの〝自主性尊重〟式にしたら、自主的に働かない社員ばかりになり大失敗した会社がある。

そんなことやってみなくても想像するだけで解るだろうに、と荒田は思う。

人不足で一人でも辞められたら困る時である。社員にいい会社と思ってもらいたい。人生の幸福を叶えてくれる会社だと思ってもらいたい。

ここで〝自主性〟を出すのは早過ぎる。社員がみな一人前の仕事ができるレベルになってからの話である。

組織の中ではよく育てられ鍛えられた人の自主性は光るが、半人前社員の自主性は会社がそのわがままに翻弄され、社内が乱脈になりムダがはびこり生産が落ちるのが目に見えている。

弱者優遇の社会である。社長や上司より入社数年の若い社員の「自己の権利」のほうが優先する。だからといって上司は部下の要求を盲目的に聞くことはない。

働き方法とパワハラ法は社員に幸福をもたらす打ち出の小槌である。また不幸をもたらす悪魔のささやきでもあるのだ。

 

 

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