株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 421」   染谷和巳

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修復できない大被害が

地震などの天災はいまだに予測ができない。〝移民歓迎政策〟はどうか。目先の労働力不足を補う点では有効であるが、外人が増え続けたその後はどうか。マグニチュード7の地震に匹敵する大被害をもたらす。〝失敗だった〟と肩を落とすことになる。これが不肖荒田新の予測、いや予感である。



外人による場所と空間の占領

昔、常磐線や総武線の電車に朝早く乗ると大荷物を背負ったおばさん達に出会った。千葉県の農家の主婦である。

魚や野菜をぎっしり詰めた籠の上に、風呂敷包みをいくつも積んで縛りつけている。

電車に乗るとそれを座席に置き、自分はその前に立って仲間とお喋りする。地面に置くと重くてかつぎ上げられないので座席に置く。一人で二人分の場を占領している。

何十人も乗っている。通路をふさいでいる。一般客はドアのあたりで小さくなっている。

電車が江戸川を渡り都内に入ると、各駅で数人ずつ降りて行き、上野駅、東京駅へ着く頃はほとんどいなくなる。

こうしたおばさんの得意先は裕福な家である。町の八百屋魚屋より少し高くても新鮮な良質のものを求める。そうした固定客を持っているので稼ぎは悪くない。毎日重い荷を運ぶ価値があった。

時代の変化とかつぎ手の高齢化で荷を背負ったおばさんの姿は見掛けなくなった。

代わって二人分のスペースをとる別の人が増えはじめた。

やはり早朝の常磐線や京成電車。成田空港から大型トランクを転がして乗り込む中国人などの外人旅行客。自分は座席に座って股の間にトランクをはさむ。トランクは通路の半分をふさぎ、向かいにも同じ旅行客がいれば通路は完全にふさがれる。電車の中は歩けなくなる。一般の乗客は、あの野菜売りのおばさんたちの時と同様にドアの付近にかたまっている。

新幹線でも頭上の棚に載らない大きいトランクを通路に置いている外人がいる。荷物置場が満杯で仕方なく手元に置いているのである。

乗物の通路は人が通るためにある。乗り降りだけでなく、トイレに行く時や席を求めて移動する時利用する。また〝逃げ路〟として大事である。火災や刃物を持った狂人が現れた時、逃げ路がふさがれていれば命にかかわる。

実際、大正十二年(一九二三)の関東大震災では、道路を家財道具を載せた車や大きい荷物を背負った人がふさいで、身動きできなくなり、追ってきた火に焼かれて多くの人がなくなった。

「通行妨害は大事故につながる」まだ車内で大事故は起きていないが〝いつか〟必ず起きる。起きてしまってから対処するのが日本の行政の常道である。危険を予測して政策を立てるを常道にできないものか。

もうひとつ〝危険だ〟と思っていることがある。イヤな予感がしている。

表参道駅から千代田線で金町の自宅に戻る時、隣の車輌から黒人女性が移ってきて、ドアのそばに立って大声で喋りはじめた。

荒田はその向かいの隅の席に座っていたので距離は二mもない。

ケータイ電話で男と話している。男の声も聞こえてくる。

車内での電話だからすぐ終わるだろうと思っていた。終わらない。静かになった。やれやれと思って女を見ると泣いている。また大声で話し出した。

西日暮里で降りるだろう。降りない。北千住で降りるだろう、降りない。もう三十分近く喋っている。座っている学生や中年女性は知らん顔をしている。内心「うるさいな」と思っているはずだが、それを表に出さない〝日本的美徳〟か。

北千住から中国人らしい若者三人が乗ってきて、女の反対側のドアの所でやはり大声で話しはじめた。

英語と中国語の大合唱。日本人はみな黙っている。

黒人女性は荒田と同じ金町駅で降りた。スマホを耳にあてたまま、ふらふら歩いている。麻薬でもやっているのだろうか。階段の手すりを握って一段一段降りる。荒田はさっさと離れて、不愉快を断ち切った。

外人による車内空間の占領。これがイヤな予感である。

まだ始まったばかりだが、車内だけでなく町の空間を外人が占領して日本人が排除されていくのではないかという予感である。


社風と日本の文化伝統の崩壊

昨年八月の産経新聞に飯山陽(あかり)が「日本の『自死』移民推進論が隠す真実」という論文を寄稿している。

「政府が移民・難民の受け入れを推進し規制緩和を続ける現状を鑑みれば、人口の一割を外国人が占める日はより早くやってくる可能性が高い」と言い、「移民によって労働力不足は解決しない」と説き、「移民を大量に受け入れれば、今ある社会はすっかり姿を変え、我々は故郷と呼ぶべき居場所を失う可能性がある」と結論している。

この一文に触発されて昨年の十一月号に「外人と共生する社会か」を書いた。今回はその続編といっていいだろう。

社会の空間を外人にとられるとはどういうことか。これによって日本人と日本の会社はどのような損害を被るのか。

日本の会社は小企業はもとより大企業も家族主義の経営を行っている。

社長が親で社員は子。社長は子を育て子に幸福な人生を約束し、子は会社に忠誠を尽くして働く。

労働契約による雇用関係はある。これを前面に出して労働時間や賃金の闘争に明け暮れる人はいる。仕事より労働組合の活動に熱心な人である。こうした人以外は上司や仲間と組織の中で仕事をしていくことで幸福な人生を送ることができると考えている。

難しい仕事に挑戦して失敗して慰められ、成功してほめられることに喜びを感じる。上司に改善案を提案し、仲間と仕事の問題点を語り合い、よりよい明日を迎える努力をする。

何十年もやってきた会社は独自の社風を作り、大げさに言えば文化と伝統を創り上げている。

日本は会社だけでなく社会全体が労働力不足に陥っている。これを解決するために政府は「外国人と共生する」という格好いい言葉で移民の大量受け入れの道を歩みはじめた。

労働力不足は、きつい、きたない、危険の三Kの職場で著しい。

建設現場、介護の仕事、ホテルの裏方、飲食業界、工場の単純作業、運転手などきつい割に収入が少なく、日本人が務めたがらない職場である。

会社は機械化とロボットの導入で労働力不足を補っているが、人間でないとできない仕事が残る。そこを埋めるのに外国人労働者を雇用する。

これから日本の会社に就職する外国人は短期のアルバイトではない。最低でも五年は勤め、家族帯同でその後も続けて勤めることができる。

五年もいれば日本語堪能になる。日本語が堪能になってもまだ日本人にはなれない。英語がペラペラでもイギリス人になったわけではないのと同じである。小泉八雲のラフカディオ・ハーンや「日本の経営」の著作で有名になり日本女性と結婚し日本国籍をとり日本でなくなったジェームス・アベグレンのレベルでようやく「日本人」と認められる。

日本の伝統と文化にほれ込んで、日本人が好きになり、社会に溶け込んで初めて同胞として、家族の一員として遇される。

大半の外人はこのレベルになれない。なろうとする努力もしない。自国の文化と伝統を固持し続ける。日本人と一緒に仕事をしながら、異質の空間を維持する。人数が増えればその空間が広がる。広がって日本の会社の家族的つながりを侵食する。団結と意思統一を阻害する。

この現象が顕著になり、会社が底力を失い、異質の空間が広がり社会にひびが入る、イヤな予感がするのである。


色が違う空気の空間に負ける

空間とは人と人の距離である。

会社も社会も人のつながりで成り立っている。ぽつんとひとりでいて誰もまわりにいなければ、その空間はその人の独占物になる。

人のつながりとは心と心のつながりである。日本人同士は心を許し合う。外人は近くにいても心が離れていて遠い存在である。

そこへ同国の外人が何人も集まってくる。色の違う空間ができる。その空間が日本人の心のつながりの邪魔をする。会社であれば指導と管理に手間がかかり神経を使う。そしていくら誠意を持って熱心に指導しても〝仕事の改善〟が見られない。指導者は距離を縮められないことにいらだちを感じ、努力の虚しさを味わう。

社会では通りかかった知らない他人に、心の距離はとるが、外人に対してほど遠い距離ではない。外人はそれを感じ同じ仲間を求める。外人のかたまりができる。

外人による空間の占有の兆候があちこちに現われている。十年後、荒田の予感は修復不可能な大被害となって的中する。


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