株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 420」   染谷和巳

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さきがけ としての奮闘の記録

会社が社員を教育して人材を揃え、将来に備えなければならない段階に来ているのに、金儲けと目先の損得しか頭にない社長の何と多いことか。この原始的企業家精神から頭上の二つの節目をこえて成長する経営者は少ない。節目をこえて大器となった一人の社長の大奮闘の記録を書きあげた。


実在の人物の伝記を書く機会


経営者研修の課題に「私の人生史作成」がある。

三十代のまだ〝これから〟の人も書く。生まれてから今までの記憶をたどり、アルバムを開き、手紙や文書を調べ、父母兄弟や友人などに取材して書いて行く。

自分がどんな人間か、何が優れていて何が劣っているか、好き嫌いの感情が人生にどれほど影響を与えているか、今の自分の価値観(ものの見方考え方)がどのようにして形成されてきたかが解る。

自分の成長に多くの人が深く強く関わっていたことに気づかされる。学校の先生の一言が与えた影響の大きさに驚く。「忘れかけていた人もいるが、こんなにも多くの人が私の人生に関わっていたんだ。この人たちのおかげで今の自分がある」と感動する。

謙虚になる。人として器がひとまわり大きくなる。

講師は「格好つけてきれいごとを書いても人生史にはなりません。失敗や秘密、人に言えない恥ずかしいことも、この機会に書いてみましょう。こうしたことが自分の人生にどんな影響を与えたかがよく解ります」と説明する。

大半の研修生は隠しておきたい恥は書かない。書かないが、この時こういうことがあったと文章の間にその記憶を入れる。

それでいい。何もかも明るみに出すことはない。自分を知ることができ、まわりの人を尊重するようになり、将来の指針になるなら「人生史作成」は成功である。

この人生史は人に見せるものではない。一〇〇%自分ひとりのためのものである。

人に見せるための人生史がある。成功者の自叙伝や回想録がそれである。伝記もこれに含まれる。

興味がある人のものは買って読む。興味のない人のものは読む気になれない。自分がどんなに優秀かの自慢話に終始するものが少なくないが、この類の人生史はおもしろくない。

文章がよくないのが主因である。文章がよければ引き込まれて、自慢話が成功のドラマになる。書き手の文章力が決め手である。

小説ではなく、実在の人物を主人公にした人生史に近い物語、これは伝記の範疇はんちゅうに属するだろう。読んでおもしろい伝記。城山三郎が得意とする分野である。

昭和五十六年、初めての本「管理者の人間学」を出した。それを読んだ師匠の佐藤編集長が「君は城山三郎くらいの力がある」と励ましてくれた。

以来、〝自分は城山三郎なみ〟という自信ができた。

かつて「統率力で人は動く」(プレジデント社)の中で五人の異色経営者の成功たんを書いたことがある。しかし一人の人の一生の伝記は一度も経験がない。

昨年、自分の力を実証する格好の機会が訪れた。

過去に二度人生史作成を会社で請け負ったことがある。畠山と酒井が担当し、私は執筆しなかった。今回は自分が書こう!

「おみごと」と言ってくれたが


十一月号の酒井正子の「もうひとつの夏」の最後に「第三者の人生を物語にする。こんな危ない仕事に主宰は精魂傾けた。この夏、私はそれを見届けた」とある。

昨年の七月八月、九月に入っても猛暑、酷暑をこえた爆暑の日が続いた。

毎年夏は筆が進む。

暑いと頭も熱くなるのか、記憶の古漬けが表面に浮かんでくる。前に読んだ本の一節が出てくる。忘れていた人の顔や名前が出てくる。頭の中も汗をかくのか。体から汗が吹き出るように脳からもにじみ出ているような気がする。

作家ではないが二十冊以上本を出している。ほとんどが夏にワーッと集中して書いたものである。酒井の「精魂傾けて」は当たっていない。夏、脳みそが汗をかく変な習性を持っている人間であり、責任と義務感から悲壮になっているわけではない。私の場合は脳汗を文章に変えているだけで、精魂傾けているわけではない。

年の瀬に「佐々木大八伝 魁」を㈱サン・アシートに納本することができた。

今年創業六十周年を迎えるに当たり、全社員と家族、関係者を招待して記念式典を行う。その記念品として創業者の伝記を贈ろうというアイデアが発端である。

七月の初め、一章、二章を書き上げて、酒井に持たせ、発案者のサン・アシート石坂社長に渡した。石坂と酒井は会長の自宅へ行って原稿を見せた。

会長は一章を読んで「おみごと、さすが染谷さんだ。いいですよ、実名を出さなければ」と言ったと酒井が報告した。

創業者は「記念品はいい、伝記もいい。しかし目立つこと、派手なことが嫌いである。私が実名で登場するなどあり得ない。もし実名でないと伝記が成立しないというなら、お断りする―」。これが佐々木会長の考え方であった。

確かに「危ない仕事」である。小説なら何をどう書いてもいい。これは伝記、第三者の人生の物語である。主人公や関係者は実在の人であり、その言動は本人の許しを得なければ書けない。言動が事実だとしても、それが賞賛に値するものだとしても、本人が「他人が読む本にするのはいやだ」と言えばオシマイである。現に会長は「実名を出さないで」と言っている。

一章の出だしはこうである。

◇ ◇ ◇

このままでは会社が潰れると思った。

朝の六時。庭の朝顔が咲き始めている。紫色の大輪の花だ。

佐々木大八は床の間の和泉守いずみのがみ兼定かねさだを見た。打粉うちこをしてさやに納めたばかりである。ずっしり重い。それを持って家を出た。

もう一年以上になる。今日で何回目の〝団交〟になるだろう。

(中略)

事務所に入ると女性社員が「おはようございます」と明るい声で挨拶した。いつも六時に来る社長が九時を過ぎても見えないので心配していた。それが姿を見せたので「ああ、よかった」とほっとして声が弾んだのだった。

社長は二階の食堂へ階段を蹴った。

会議室兼夜の宴会会場兼朝の社員食堂。

朝食をとらずに出社する社員が多いので、近所のおばさんに賄いを頼んで簡単な和食を一食百円で提供している。社長以外は全員よく利用している。

引き戸をガラッと開けた。ただひとりの味方、経営者側の住安専務が頭を下げた。奥にいた十人が一斉に見た。

社長は入口近くの椅子にかけて日本刀を床にドンと突いた。

「おいっ!」と叫んだ。

社長が鬼の形相で刀のつかを握っている。十人の社員は石のごとく固まった。

誰が読んでもおもしろい評伝


労働争議を命を賭けて乗り切った。四十歳のこの時から佐々木社長は変わりはじめる。

本を読み、勉強会に参加してレポートを書き、多くの経営者に自分のほうから近づいて学んだ。以前はこうしたことを嫌って避けていた。労働争議の傷が癒えた後「このままではいけない。自分が人間として成長しなければ会社はよくならない」と本気で思った。本気で自己研鑽けんさんに取り組んだ。

自分が学んだことを社員に教えた。意識を高める歴史教育に力を入れた。権限を委譲して幹部を育てた。分社して社長を作った。

会社を作って六十年、つねに先頭に立って引っ張ってきた。魁と呼ぶにふさわしい人物である。

伝記には事実を記す伝記と、主人公の言動に批評を加えて書く〝評伝〟がある。

たとえば二章の末に「大八はいい少年期を送った」とある。これは評伝の書き方である。

評伝の文章の責任は著者にあり、主人公には一切ない。

会長は全文を読んで、うそや誇張のない文章であること、登場人物の誰も傷つけない文章であること、そして主人公の自分をほぼ的確に評価している評伝であることを理解した。それにより「これは実名で出しても問題ない」と当初の考えを撤回してくれた。

原稿の校正は万全を期した。

今回は佐々木会長、石坂社長、私、酒井の他に畠山顧問と畠山に校正を教わった坂口部長、正木課長にまで参加してもらった。

闘病中の畠山は「こんな状態なので校正はできない」と断ったが、遅れて赤を入れた原稿を送ってきた。凌ぎを削るがしのぎを削るに直してある。全員が見逃していた間違いを指摘してくれた。

かくて目をこらしてもミスを見つけることができないピカピカの本になった。

カバー絵「研修所の風景」は酒井正子が描いた。題字「魁」は下条壽雪の書である。左下の高木書房の広告に今回特別、本の表紙を載せてもらった。


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