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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 419」   染谷和巳

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恥と秘密があってこそ

人に言えない恥や秘密はひとつもありません、私は公明正大清廉潔白ですという人がいるとする。この人は文学や芸術に縁がない。この人に発言の場を与えると「裏側の暗がりや汚ない部分の存在は許しません。みんなで明るい所に出して撲滅しよう」となる。こんな正義潔白仮面が跋扈ばっこしている。


日本人は正義の国連をあがめる


荒田は言葉にうるさい。

二〇一五年に国連はSDGs(エス・ディー・ジーズ。サスティナブル ディベロップメント ゴールズ)を採択。十五年間で十七の目標を達成しましょうと旗を掲げた。

サスティナブルは持続可能という意味の英語である。これに忠実に日本はSDGsを持続可能な開発目標と訳して公表した。

荒田は「持続可能」という言葉が気に入らない。意味が理解できない。こんな日本語はないと思う。こんな変な言葉を遣うから、多くの人が疑わしい目でソッポを向くのである。

「世界共通の解決すべき目標」「今世紀の人類全体の重点目標」とすれば十七の目標内容と合致して、理解は進んだろう。運動推進バッチを胸につける人ももっと増えたろう。

十七の目標はひとつひとつもっともである。もっともだが、世界が戦争状態の現在、十五年間で達成できそうな項目は一つもない。

一、貧困をなくそう 二、飢餓をゼロに 三、健康と福祉を 四、質の高い教育を 六、安全な水とトイレを と、崇高なきれいごとが並んでいる。

五にはジェンダー平等を実現しようという不自然な項目がまぎれ込んでいる。

七、クリーンエネルギーを。中国製太陽光発電パネルや風力発電の風車が国土を蝕んでいる。二十年後日本は廃物の山になる。

八、働きがいのある人間らしい仕事を。日本は働き方改革により勤勉を否定した。

九、道路、鉄道などインフラの整備。インフラ整備に名を借りた一帯一路政策により中国は弱小国を属国に組み入れつつある。

十、人や国の不平等をなくそう。移民を歓迎し、外国人労働者を待遇面で差別せず雇用することで疲弊している先進国や企業が多い。

十一、住み続けられるまちづくり。意味が解らない。

十二、つくる責任、つかう責任。需要と供給の原理に則って、消費者はつくる側(商品)を選ぶ。選ばれない商品は売場から消えていく。完全無欠な商品はないからいくら責任を持っても注意しても事故や事件は起きる。

十三、気候変動に対策を 十四、海を守る 十五、陸を守る 十六、平和と公正を 十七、グローバル・パートナーシップを。

この一項ごとに詳細な現状分析と改革案が添えられている。たとえば一の貧困では、社会保護制度の充実や食量、水、エネルギー資源やお金の支援を解決策としてあげている。誰がこれをするのかと荒田は思う。個人の寄付金では達成できない。金持ち国中国の援助を仰ぐのか。そうすれば貧困はなくなるが国もなくなる。

国連は中学校の〝生徒会〟に似ている。優等生の提案をするがそれを実現する力がない。正義の旗を振る無力な組織である。

国連の国際刑事裁判所は戦争犯罪者としてプーチンに逮捕状を出した。プーチンはこの裁定を下した検事と裁判官二人を指名手配した。ロシアが逆に逮捕状を出したのである。ロシアは暗殺国家なので、三人は殺される可能性がある。警察力、軍事力による強制力を持たない裁判所の判決など蚊にさされるほどの痛みも感じない。

それでも国連は正義を唱え続ける。慈悲深い善良な日本人はそれに賛同する。東北の老練代議士は「頼りになるのは一に国連、二に中国、三、四がなくて五が日本」と言っていた。これを公言し、態度行動で示していた。

この人が総理大臣にならなくて本当によかったと荒田は今も思っている。

国連を作った米中ソなどが国連を軽視しているのに、国連に救われたことなどない日本が、国連を世界を統制する神の機関のごとく崇めている―。

ケがなくなれば幸福になるか


民俗学者柳田國男は日本の伝統的生活の風習である「ハレとケ」の区別が曖昧になりつつあると指摘した。昭和の初期の頃であり九十年以上前である。

ハレは正月やお盆、お祭りや結婚式などの特別の日をいう。この日は晴れ着を身につけ、肉、魚、赤飯、白米、餅などのご馳走をいただく。

それ以外の日はケ(褻)で、普段着、仕事着を身につけ一汁一菜の質素な食事をとる。一年の大半が毎日同じことを繰り返す日常生活のケである。

別の観点からいうと、ハレは人を呼ぶ、人を集める、人前に出る、人に見せる、人に見られる日である。晴れ舞台であり、日の当る表の日である。

ケは人の目を気にしなくていい日。家の中で個人や家族が気ままに振るまっていい日。仕事中、田んぼや畑で通りかかりの人に見られることはあるが、その人に気を遣うことはない。日常はプライバシーが尊重され他人の関与がほとんどない。

ハレが表ならケは裏といえる。

柳田國男は大正から昭和にかけて庶民の生活が豊かになり、以前はハレの日だけだった白米や肉魚や酒が日常の食事に出され、衣装は人目を引こうとして豪華になり派手になった。地味で質素なケの日が減ってハレの日がふえていると指摘したのである。

その後日本は経済大国になり、毎日ご馳走をいただき、毎日晴れ着で暮らし、人に見られて恥ずかしくない生活を送るようになった。

幸福とはケの日を少なくしてハレの日を多くすることによって実現する。貧しい後進国の人はハレを渇仰かつごうしてもがいている。

では日本は幸福な国か。極楽浄土の国になったのか。

ハレとケの区分において、物質面ではハレがふえケは減った。

精神面では今も人に見られたくない日常、隠しておきたい裏の部分、やましい心の動き、利己的でよこしまな考えなどのケは厳然と存在している。

表裏、陰陽、正邪、善悪という相反する性質の、明るい面がハレで暗い面がケである。

物質面で豊かになった人は精神面のケまで一切なくそうとした。裏に隠すことを許さず、暗部に光を当てて明るみに引きずり出す。そうすれば本物の幸福が手に入ると。

国会はレズ・ゲイ法案を成立させ、統一教会解散命令を出し、マスコミと企業はジャニーズ出身者を番組やコマーシャルから排除した。

かつての日本なら決して表に出ない暗部をハレと対等に扱い、人目にさらして評価を仰ぎ「かわいそうだ」「けしからん」といった世論の剣で突き刺し回す。政治家、マスコミ、大企業はその声に耳を傾け、暗部を救いあげたり、犯罪として糾弾したりしている。

かつての日本は国会議員が週刊誌を片手に政敵をつるしあげるといった醜い光景はあり得ないことだった。こんなことをする人は信用を失い、人非人として仲間から除外された。

人は正義の人、清廉潔白の人でなければならない。もし汚ない面や恥辱の行いがあるなら、その人は人間失格者だから全てを白状させ改心させなければならない。

これは、人類の負の部分をなくしましょう。全世界の平和と幸福を実現しましょうという〝国連の正義〟に連動してくる。

裏や陰を許さない正義は「危険」だと荒田は思う。

暴露週刊誌が正義を先導する


平成元年(一九八九)六月三日に総理大臣になった宇野宗佑は、六月六日発売の週刊誌サンデー毎日に潰された。

四年前、まだ外務大臣にもなっていない頃、神楽坂の芸者の指を三本握って「これでどうだ」と関係を迫った。その後一年ほど関係が続き宇野は国会を抜け出してホテルニューオータニで逢引きした。

女が取材料をもらって喋ったのである。

七月に参議院議員選挙があり与党の自民党は大敗、八月十日に宇野は総理大臣を辞任。六十七日間の短命内閣だった。

宇野は有能な政治家で総理大臣としても期待されていた。それが「私の指を三本握って」で滑り落ちた。ロッキードの田中角栄はアメリカの陰謀で潰された。荒田には理解できた。この「指三本」は理解できなかった。許せなかった。女をではない。参議院選挙で「宇野の自民党はけしからん」と社会党に票を投じた人々をである。「妾がいようと献金を受けようといいじゃないか、あの人はあれほどの仕事をしてくれているんだから」荒田はこう考えるが、こう考える人がいなくなった。

アメリカのポリティカル・コレクトネスの影響もあるが、「正義と潔癖が一番」という価値観が日本人に浸透し始めたのはこの「三本指」事件以来であろう。

裏も奥行きもない薄っぺらな正義の刃に切り殺される世の中だ。


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