株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 415」   染谷和巳

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経済で解決できない事

お金がないから結婚しないのか。子を生まないのか。日本では戦後、経済的に決して豊かとはいえない時にベビーブームがあった。この歴史上の事実を政治家や経済学者はなぜか認めない。少子化対策の手当てや支援に大金を投ずれば効果が上がると思っている。この問題はお金では解決しない。


金持ちになるのが幸福なのか

学生の頃、神保町の古本屋をのぞき歩いていた時、百円本の箱の中にイリヤ・エレンブルグの「現代の記録」(訳小笠原豊樹・修道社・一九五七年刊)を見つけて買った。

十九世紀の産業革命が熟して、二十世紀に入ると機械工業が発達し、ベルトコンベアによる大量生産が行われ、のんびりした牧歌的農村社会は取り残され、スピード生産と価格競争の新しい社会が出現した。

エレンブルグは自動車、タイヤ(ゴム)、ガソリン(石油)、靴、マッチ、鰯缶などさまざまな業界で勝者となった資本家の人生を実名でドキュメンタリータッチの小説にした。

生産を上げるために資本家がどんなに労働者を酷使し奴隷のごとく虐待したかを数字をあげながら記述している。

フランスの自動車会社シトロエンは、部品組立のベルトコンベアで作業する労働者がプレス機に手をはさまれて、一ヵ月に三十四本の指がもぎとられたと書いている。

いずれの業界も、運よく台頭した資本家が波に乗って巨大企業をなし、いつしか人間味に欠けた〝悪魔〟となっていくという似たような筋立てである。そして没落して悲劇に終わるという結末もまた似ている。

当時ソビエト連邦は指導者がスターリンからフルシチョフに代わって、社会主義の統制がゆるみ始めていたが、エレンブルグのこの本は資本主義の悲劇をリアルに描写しており、その点で社会主義の宣伝塔の役割を果たし、国内の文学賞を受賞した。

社会主義の国で文学は不毛といわれる中、エレンブルグは数少ない国外逃亡の必要のない〝認められた小説家〟であった。

エレンブルグは労働者の悲劇を書いたが、この本の主題はそれではなく、のし上がって我をなくし狂暴化し、それゆえに自滅していく資本家たちの悲劇、いや人間喜劇を冷笑気味に描き出したのであった。

ウクライナ出身のエレンブルグはピカソやアインシュタインなどと親交があった国際人であり、その広い視野と大局観先見性は通俗小説家が持ち得ない天才的才能の持ち主である。ソビエト指導者から歓待され、ドイツの侵攻には「断固ドイツを粉砕せよ」と国民を鼓舞したが、社会主義を固持信奉する思想家ではなく、どちらかといえばフランスなどの自由と個人尊重が肌に合っていたようである。

エレンブルグが嫌ったのは、物質的成功、金持ちになることを最高の価値とする社会である。手段を選ばず金儲けに走る初期資本主義の資本家にその典型的姿を見て「これが人が求める理想か、真の幸福か」と問うた。

金持ちになる方法は商売で儲けるのと別に人の財産を頂戴する手がある。

才気ある貧しい青年が恋人を捨てて色仕掛けで金持ちの婦人を籠絡(ろうらく)して出世する。十九世紀のスタンダールの「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルや二十世紀のドライザーの「アメリカの悲劇」の主人公クライドが好例で、愛よりも金を至上とする。

では大金持ちになった後の人生は。

フィッツェルランドの代表作「グレート・ギャッツビー」は、禁酒法下の酒の密売で儲け、株の売買で大富豪になったギャッツビーが、今は人妻になっている若き日の恋人を獲得するために、金と時間を惜し気もなく遣うが叶えられず最後は不運な最期を遂げる小説。

誰でも成功する可能性を持っている。しかし大成功するのは才能のある人のうちでもほんの一握りで大多数はその望みが叶わない。だからこうした成功者の失敗話が好んで読まれるのである。

金持ちにならなければ幸福な人生を送ることができない。これは現代の私たちも一概に否定し難しい考え方である。

土地や企業など主な財産をすべて国が所有する社会主義の中国は、国家元首に権限が集中する。お金をどう使うかはトップの独断で決まる。自由貿易で巨大化した会社は儲けたお金をごっそり国に収奪される。目立つ芸術家や芸能人は自由な発言を封じられ、反すれば投獄される。

社会主義思想は神であり、権力が神を守る。権力の行使はお金でする。

民主主義の欧米だけでなく、中国のような社会主義国も〝お金第一〟である。

かくて、「お金があればどんな問題も解決できる」という単純な考えがすべての人に信奉されるようになった。


経済で少子化は解決できない

五十年後、日本の人口は現在の一億二千五百万人から七千五百万人に減ると報じられている。出生数は昨年七十七万人。最盛時は後に団塊の世代と呼ばれる戦後数年間の年間二百六十万人であった。年々減り続けてついに八十万人を切った。最盛時の三分の一以下になった。このまま少子化に歯止めをかけなければ国が滅びると騒いでいる。

新聞に「少子化は実質賃金の目減りと政府の緊縮財政に原因がある」とあった。

平成初期のバブル崩壊や消費税増税、社会保険料値上げなど経済運営の失敗が少子化を招いた。

働く人の実質賃金は平成八年を百とすると年々少なくなり令和四年は八十五。以前は一円のものが百個買えたが今は八十五個しか買えない。収入が物価上昇に追いつかない。国民が貧乏になっているということである。

国民を経済面で豊かにすれば少子化が止まり反転すると政府、知識人そして世論は唱えている。

政府は「こども未来戦略方針」を実行に移しつつある。

保育所を無償化し、産休育休を充実させ、子供手当を長期高額にし、医療費や保険料の負担を軽くし、三人以上産めば報奨金を出しましょう…。財源に限りがあるので、二%と決めた喫緊の軍事予算を後回しにして「こども予算」に投入しようとしている。

しかし少子化は経済運営の失敗が原因か。お金を十分に援助すれば子を産む人が増えるのか。

敗戦の焦土の前で日本人は「これ以上悪くなることはない。これからはよくなる一方だ」と感じた。

敗戦直後の昭和二十二年から二十四年のベビーブームの時、全国民が貧しかった。金銭にゆとりのある人は一握り。それでも毎年二百五十万人の子を産んだ。

お金はなかった。お金はなかったが別のものがあった。明るい未来、豊かになるという期待、希望である。今生んだ自分の子が十年後、二十年後には立派に育ち家庭を持ち、生んでくれた親に感謝しながら生きている。生きものの本能がこうした〝明るい希望〟を感じとらせていた。

若い男女が十分なお金があれば複数の子を作るという「数式」は成り立たない。余分なお金が入れば貯金に回し、遊興と贅沢に遣う。

国が恵んでくれた支援金をその目的どおり遣う人が何割いるか。ばらまきは選挙の票にはつながるが、少子化阻止という目的は達せられない。お金があればすべて解決できるという「お金第一教」の信仰から脱する時が来ている。


男らしく女らしくを否定した

経済が少子化を解決するという考えは誤りである。

少子化が加速した一つの原因は男女平等社会の出現である。今もその徹底に向けて走っている。

昭和四十七年(一九七二)男女雇用機会均等法が施行された。雇用差別をしてはならない。給与など待遇を平等にせよという法律。

平成十一年(一九九九)男女共同参画社会基本法が施行。男も家事育児を分担せよ。女が男と対等に活躍できる社会にしよう。

平成三十一年(二〇一九)働き方改革関連法施行。残業時間の規制。正社員とパートや派遣社員の待遇格差の是正が決められた。

令和二年(二〇二二)パワハラ防止法施行。職場内で〝いじめ〟と認定された行為は犯罪とされ、会社が是正勧告、指導を受ける。

令和五年(二〇二三)LGBT法が施行。

同性婚を認め、レズやゲイといった特別な人に対して差別的扱いをしてはならない。

令和五年(二〇二三)政府はまず最上位の大企業に対し二〇三〇年までに女性役員の比率を三〇%以上を目標にするよう促した。

高度成長で経済大国になった日本は、それ以降ずっとこの流れをたどってきた。

この流れとは、差別反対、弱者優遇、すべて平等の流れである。法はみなこの流れに添っている。

男は強くやさしく男らしく、女は子を生んで家庭を守り女らしくという伝統ある価値観を叩き潰して今に至っている。


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