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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 423」   染谷和巳

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積上げてきた美の遺産

芸術家の才能は遺伝しないが、美に対する感性は祖先から受け継がれてさらに磨かれる。日本人は美に対する優れた感性を持つ民族である。それは誇りに思っていい。反面、醜いもの、汚いものの表面を見て一切拒絶する狭量な人が多い。せっかくの長所が子供っぽい短所になっている。



もしパリが焦土となったなら

「パリは燃えているか」という映画をみた。

一九六六年、今から五十八年前の作品である。舞台は第二次世界大戦の末期。一九四四年六月の連合軍ノルマンデイ上陸から一九四五年五月のドイツ降伏までの戦争映画である。

フランスの一流俳優がぞろりと顔を揃えている。地下抵抗活動家として登場するが、顔を出すだけで、活躍しないし、本筋に重要な役割を果たしていない。見え見えの客寄せ出演である。

主役はパリ占領のドイツ軍司令官コルティッツ将軍。

一九四四年八月、パリの地下抵抗組織の勇士の要請を受けてアメリカのジョージ・パットン率いる軍団を先頭に連合軍がパリへ進軍を開始。

ヒトラー総統はコルティッツ将軍に「パリ破壊命令」を出す。占領地を灰燼(かいじん)に帰せということである。

コルティッツは宮殿や寺院、エッフェル塔、凱旋門などに爆薬を仕掛けさせる。だが「爆破せよ」の命令を出さない。

八月二十五日のパリ解放。コルティッツが白旗を挙げたのだ。

事務所の総統と現地司令官の直通電話の受話器が外れている。コルティッツが放り出したのである。受話器のむこうでヒトラーが「パリは燃えているか!」と叫んでいた。

コルティッツの命令無視のおかげでパリは破壊されずに済んだ。

これがこの映画の主題である。

パリは芸術の都と言われている。

中世から王侯貴族が豪壮な宮殿を作り、芸術家を庇護した。ルーブル宮殿、エリゼ宮、リュクサンブール宮、それにノートルダム寺院、サクレ・クール寺院、マドレーヌ寺院など。

建物の広大華麗もさることながら内部の装飾、壁画、彫像、絵画はみな当時の一級品である。

パリは芸術家の修業と飛翔の場であり、フランスの中心地であり、ローマ、アテネと並ぶ先人の遺産が集積する都市である。

そこを爆破し焼滅させる…。フランスだけでなく世界の落胆は計り知れない。失われた建造物や芸術作品は戻ってこない。

コルティッツ将軍は爆破のスイッチを押さなかった。パリの歴史上の美の遺産はすべて無事だった。

八月二十五日、パリに〝入城〟したフランス軍アメリカ軍は市民の熱狂的歓迎を受けた。市民は自分の命が救われた喜びのつぎに、パリが焦土とならずに済んだ安堵を狂喜乱舞の歓迎で表現したのであった。

人はなぜ戦うのか。

第一に命を守るために戦う。生き残るため、食うため、生活するために戦う。

第二に領土を守るために戦う。領土、領海を侵略されて泣き寝入りする国は主権を持つ独立国ではない。

第三に、生きかはり死にかはりして先人が積み上げ遺してきた〝財産〟を守るために戦う。遺産を奪われ、破壊されたなら、たとえ生きながらえても生きがいがない。

人は地面があるから足で立って歩くことができる。同時に、祖先が遺した遺産があるからその上に立って生活し仕事をすることができる。遺産がなければ〝立つ瀬〟がない。

パリという遺産は破壊されずに残った。このことが市民だけでなくフランス国民いや世界中の人を幸福にした。



国民の美に対する感性は秀逸

日本ほど美しい国はないと前に述べた。

自然の美はもとより、造形(人工)の美もずば抜けている。

奈良法隆寺や東大寺の仏閣は古いから国宝なのではない。千年その美を保ち、今も人を感動させるから価値があるのである。

日本各地に由緒ある神社仏閣がある。創業千四百年の世界最古の企業金剛組は神社仏閣を造る木組み工法の宮大工の会社である。金剛組の社員が木造の堅固な美しい建物を建てた。その建物の欄間に彫物が施され、寺には芸術作品の仏像が安置された。

京都の朝廷(天皇家)を中心とする平安貴族は〝みやび〟を尊び、琴棋書画に通じる人になる努力を惜しまなかった。はじめは中国の文人官僚のまねの域を出なかったが、年月とともに日本独自の書や絵画が生まれ、広まっていった。

京都から見て東国の鎌倉などの武士は「東夷(あずまえびす)」と呼ばれ無骨者とさげすまれた。

武士は朝廷を倒し天皇家を滅して日本の王になる意思は全くなかった。天皇に恭順の意を表して、臣下として征夷大将軍や関白といった位をいただいて従った。日本は中国の易姓革命(徳をなくした王に代わって新しい王が立つ。新王は前王朝を否定し、自分が正当な支配者であることを説く)とは全く違う道をとった。

源頼朝、足利尊氏、徳川家康(以下十六代全員)は「征夷大将軍」に任ぜられ、豊臣秀吉は一つ位が上の「関白」に任ぜられた。

粗野で無教養な武士層は〝宮廷文化〟をまねた。戦さのない時は琴棋書画を学びその腕を上げた。

平安貴族の寝殿造りをまねて武士はより簡素な書院作りの建物(二条城など)を建て、それをまねて大小の武家屋敷が作られた。

ゆとりのできた商家、農家が武家をまねた。庭を設け木や草花を植えた。客間や居間に床の間をしつらえ、絵や書の軸を掛け、陶磁器や木彫の置物を飾った。

武士の支配が終焉して、政治家や経済人が社会をリードする明治時代に入っても、城はそのまま残り、神社仏閣も引き継がれた。

昭和二十年のアメリカの日本全土無差別爆撃や原爆投下により、また震災や天災により多くの遺産が失われたが、全てを失うことはなかった。

日本は二千年に亘りその美を積みあげ、継承してきた。他国が宗教戦争や領土戦争によって文化の破壊と断絶を繰り返してきたのに比べ、〝万世一系〟を貫いてきた国は奇跡としかいえない。パリが燃えずに済んだ奇跡を日本は何度も乗り越えてきたのである。

そのため日本人の美に対する感性は磨かれ日曜画家、陶芸教室通いなど素人の裾野が広く、あらゆる芸術の分野で世界に傑出した人物を輩出している。



大局観のある大人の美意識を

江戸時代中期から町人の間で「箱庭」がはやりはじめた。同じ頃から「盆栽」「盆景」が手作り商品として売られるようになった。

自宅に飾って自分で手を加えて、自分の作品にする。みな手先が器用になった。より小さいより繊細なものに美を見つける独自の世界を作り出した。外人が驚嘆する「根付(ねづけ)」のような作品まで生み出した。

日本人は両手を広げて外に向かって行く姿勢ではなく、背を丸めて自分の手の指を見つめる内向きの姿勢が身についた。

この内向きの姿勢は、争いを好まない平和志向の意識を育てた。妥協し許して何ごとも〝まるくおさめる〟をよしとした。裏側や深い部分にある汚い面に目をふさいで〝キレイゴト〟として片づける習慣が身についた。

小さい問題にこだわり、大きい問題から目を逸(そら)して危機に陥ることを政治も経営も繰り返している。国民がみな同じ意識なので、敗北と大きい失敗の後でないと目覚めない。

トランプ大統領のアメリカ議会襲撃事件で思ったこと。

また映画の話。西部劇はインディアン退治の騎兵隊ものが、人種差別反対で制作をやめた。その後は「復讐」と「悪人征伐」が主題の映画が大半である。

大牧場主が町を牛耳って横暴の限りを尽くす、反抗する正義の保安官。牧場主はカウボーイを引き連れて町を襲う。この欲深で身勝手な牧場主がトランプである。

荒田はトランプの言動を〝醜い〟と思った。潔く負けを認めず「選挙の集票に不正があった。謀略だ、ヤッツケロ!」と心服者をたきつけ暴動を起こした。

目をつぶってトランプに拍手することはない。醜いものは醜いのだ。

しかし政治や経営は本来汚ない面、醜い面を持っている。民主主義国家でも浅薄な民意に従って英断しなければならない時もある。

経営も「領土を侵略する独裁国だ」と切り捨てることなく、利益優先でそうした国と商売することもある。清廉潔白だけでは会社は維持できない。

日本人の美意識は、こうした醜い面を許容しない。国を守るため、国益のために、一時的に民の支持を失っても、鬼になって戦う〝指導者〟を引きずり降ろす。

美を尊重するのはよい。醜い面、裏側、トゲの部分、汚いものの価値も認める。外向きの広い視野に立つ〝大人の美意識〟を身につけなければならない。


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