株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 424」   染谷和巳

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精神強化と意識改革を

働かない改革といじめ防止の法律に救われたのは反会社の社員と怠け者社員である。労働基準監督署や裁判所に戦々恐々として青くなっている指導者よ。教育は知識と技術の修得に終始してはならない。教育の原点は学校教育も社員教育も精神強化と意識向上である。振り出しに戻る時が来ている。


第三期〝ゆるみ〟の時代が来た

昭和三十年(一九五五)から昭和四十八年(一九七三)までの二十三年間を、日本の高度経済成長期と呼ぶ。

毎年平均約一〇%の実質経済成長率を達成し、中東戦争によるオイルショック(昭和四十八年十月)により終焉するまで右肩上がりの好況が続いた。

この復興と経済成長の主役は軍隊帰りの三十代四十代の壮年と昭和二十年に兵役年齢に届かなかった二十代三十代の青年層である。

技術と物造りの新興企業が急成長し、それを支える中小企業が林立。こうした会社の社長はみな戦争を体験して生き残った人であり「二十四時間働けますか」の問(とい)に「おう」と答える人であった。

繁栄は退廃をもたらす。

昭和五十年代に働き盛りを迎えた二十代三十代の人は祖父母や父母の苦労を見てはいたが、恵まれた環境に溺れた。

人手不足で仕事はいくらでもあった。人手不足なので会社は毎年給料を五%、一〇%上げた。若手社員は仕事の実績を上げないうちから優遇された。

夜の町には大衆キャバレーのネオンが点滅し、旅行や遊興のレジャー時代が到来。優雅に遊ぶことの価値が上昇した。

社員はきつい仕事から逃げた。ノルマのある営業の仕事は「高給」を謳って募集しても人が来ない。来てもすぐ音をあげて消えていく。営業だけでなく長時間勤務重労働の建設会社や運送会社は人の確保に苦しんだ。

第一期のゆるみの時代である。

経営陣は戦前戦中派である。鍛えられた体と強い精神の持ち主である。

社員にもそれを求める。求められた社員はさっさと逃げる。〝楽〟に慣れた苦労知らずである。職場はいくらでもある。

新聞の募集欄は毎日二ページに渡り大企業から小企業まで社員を募集し、職業安定所には「求人」のカードが積まれていた。

人が定着しない。人が育たない。

特に中小企業の社長は、五年後の会社の暗い姿を想像して深刻に悩んだ。

この時、社員の精神を鍛える民間の研修会社が救いの神になった。

山の中の逃亡が難しい刑務所のような研修場で早朝から深夜まで、社員としての基本行動を訓練する。忍耐と努力を極限まで要求する。自分が今までどれほど軟弱で傲慢であったかを反省させる。

二週間の訓練で、参加した社員は強い精神と高い意識を持つ〝人材〟に変身する。

社長は帰社した社員の報告を聞いて嬉し涙を流す。

この研修を採用した会社の多くが、強い社員を要する強い会社になって成長した。

昭和五十年代後半から平成三年まで日本はバブル景気に湧いた。バブルがはじけて多くの会社が倒産して、潰れない会社も青くなった。

社員が一丸になって会社を建て直さなければならない。

しかしバブル崩壊後に部課長になった人は部下を指導することができなかった。部下は仲間であり友だちであり、その人格を尊重して、上から一方的に命令などしてはならない。厳しく注意したり叱ったりしてはならない。

第二期のゆるみの時代である。

社長から部下を育てろ、指導しろと言われるが、部下は学校の〝ゆとり教育〟で大事に甘やかされて育ってきた。何の理由もなく、「自分が一番偉い」と思っている。叱れば会社を休む。辞める。

平成十二年(二〇〇〇)、拙著「上司が鬼とならねば部下は動かず」が、二月に発売されこの年だけで四十五万部のベストセラーになった。中小企業の部課長が、部下指導の参考書として求め、行動の指針にしたのであった。

実際この本を読んで意識と行動を変えて優れた指導者になった人は多い。著者の元には感謝の手紙が束になっている。「何でも平等」の民主派は苦々しい思いだったろうが、途方に暮れていた管理者層には救いであった。

そして今、第三期のゆるみの時代が来ている。


合宿型研修から通学型研修へ

それは平成二十七年(二〇一五)十二月末の電通の新人女性社員の過労による自殺事件から始まった。

翌年春、働き方改革法が審議されて成立。令和元年(二〇一九)残業時間を規制する〝働き方改革関連法〟が施工された。ほぼ同時に〝パワハラ防止法〟が法制化され、令和四年(二〇二二)に施工された。

これと併行して、武漢ウイルスの新型伝染病が流行し、外出の自粛、マスク着用、人間(じんかん)距離をとるなどの異常事態が続いた。会社によっては電車やバスの使用を禁止して社員の罹患を防いだ。

怠け者に天国の時代が来た。

ある会社。社長が外へ出ない営業マンに「アポを取って訪問しろ」と言うと営業マンはウツ病の診断書を持ってきて「自分のペースでやらせてくれ」と答えた。

機械を操作するベテランに手抜きの危険作業を叱ると、翌日奥さんから「パワハラの会社にはもう行かせません」と電話。「長年勤めている五十歳近い男ですよ。辞めてもいいが、電話くらい自分でしてこいと思うんですよ」と社長は嘆いた。

勤勉は死んだ。働かないことが許される。残業時間が制限され収入が減った。その収入減は副業(アルバイト)で補ってよいという奇妙な法律までできた。会社の方針よりも社員の意思のほうが尊重され、「働け!」と叱れば、以前は会社を辞めたが、今は労働監督署やユニオンに訴える。ダメ社員が法律に守られて胸を張る…。

アイウィルの合宿研修に参加した社員が、朝六時から夜九時まで拘束された。残業手当を出してくれと言ってくる。参加する人はまだいい。自分の意思に反して強制的にいろいろやらされる研修には行きませんと拒否する。この社員の意思を上司は変えられない。

六ヵ月間管理者能力養成研修の参加者は以前と比べ半減した。三分の一になった。

合宿による厳しい研修は、いくら効果があっても〝ブラック研修〟と見做され敬遠された。以前からのユーザーがこの流れに迎合して、研修をやめていった。

アイウィルは令和二年「有言実行研修」令和四年「ナンバー2養成研修」、令和五年「アップステア研修」を開発しスタートした。

いずれも朝九時十時から夕方四時五時までの通学型研修である。それを月一回一年間十二回行う。有言実行研修は会社の会議室などで、ナンバー2養成研修やアップステア研修は研修施設に通ってもらって行っている。

この通学型研修は講義と討論とスピーチが主体である。訓練や膨大な自己啓発の読書やレポートを強制する厳しい研修ではない。日帰りなので残業代の問題もない。会社は参加させやすいし、社員も抵抗がない。そのため既存の合宿研修からこちらに乗りかえるお客様がふえた。

今やアイウィル研修の主力はこの通学型になりつつある。

昭和五十年代の第一期ゆるみの時代に一世を風靡(ふうび)した山の中の刑務所風の研修も訓練式から講義式になり期間も三日四日と短いものになっている。アイウィルも同様の変貌をとげた。

これによって第三期のゆるみは解消したか。アイウィルは延命に成功したが、ゆるみは悪化の一途をたどっている。

人間学のまじめな雑誌を出している出版社の社長は「このままでは日本はだめになる」と本気で憂いている。だがこの社長にしてもゆるみの流れを変えたり止めたりする具体的な方法は語らないし、〝強い精神を持つ勤勉な日本人〟を再生する道はないと諦めているようである。

株価が上がろうと大企業が給料を大幅に上げようと、日本の社会が退廃と没落の〝世紀末〟を迎えようとしているのは確実である。


指導者が指導力を発揮する時

会社は社員とその家族のゆるみきった精神と意識を立て直すのだ。

日本の指導者は明治の初め、福沢諭吉が説いた「一身独立して」を理解して強い精神と高い意識を持つ民を指導育成した。これによって日本は強い国になれた。

会社の指導者にとって省力化やAI(人工知能)は小さい問題である。大問題はゆるんだ社風と社員のゆるんだ心の立て直しである。

渡辺利夫が「正論」(産経新聞三月二十二日)で言う。

「国内政治の随分と小ぶりな問題に浮き身をやつしているのがわが日本の指導者群である。福沢が心底嫌悪した『日本の景況』とは、こんな風景だったのではないか」

アイウィルの研修は通学型でもいい。依存症のゆるんだ社員の精神を鍛え直し意識を高める道を追求する研修であれば。


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