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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 428」   染谷和巳

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かつての〝学問〟に戻る時

子供の喫煙は体に悪い。子供のスマホも頭に悪い。小中学校の九年間はスマホ禁止、学校のデジタル授業廃止。法律を作り文科省が指導要領で徹底すればできる。聞く読む話す書く教育に集中する。学校教育はこれくらいのコペルニクス的転換をはからなければ手遅れになる時に来ている。


NIEはなぜ普及しないのか

「NIEで教員の指導力アップ九十一%、子供の『聞く力、話す力』なども向上」という見出しの記事があった(産経新聞七月十二日)。

NIEはNewspaper in Educationの略語で、文字どおり「教育に新聞を」という活動である。

日本新聞協会は全国の小中高校五八一校からの回答を分析して、NIEの調査結果と発表した。

それによると教員の指導力が伸びたと答えた学校が九十一%。

腑に落ちない。なぜ教員の指導力なのか。

生徒に新聞を読ませる場面で、教員はほとんど指導をしていない。いろいろ強制せず自由に新聞を読ませるのがNIEである。

勘繰れば、「指導力が伸びた」と答えた教員は普段新聞を読んでいなかったのではないか。生徒と一緒に読むようになり、遮眼帯がとれた馬のように視野が広くなり、歴史、経済、地理などの知識が豊富になり、生徒に自信を持って指導ができるようになったのではないか。NIEによって教員の指導力が伸びたという結果は恥ずかしいことである。

元小学校校長で現在高校の国語講師をしているT氏が言う。

「就職や進学のための小論文の作成にあたって教師は適切な指導ができない。提出された論文の添削採点を外部の教材業者に委託しているのが実情です」。

こうした教師が新聞を読むようになって、生徒に直接指導できるようになったといったところだろう。

子供の能力が伸びたという結果は、素直に「すばらしい」と評価する。「伸びた」と答えた学校は八十七?九十四%もあった。

子供の能力が具体的にどう伸びたかという問いには「語彙(ごい)が増えた」「長文への抵抗感が薄くなった」「書くスピードが上がった」「分かりやすく書けるようになった」などの答えがあった。

平均週一回新聞を読むだけでこんな効果がある。NIEは歴史や世界の情勢など社会科の授業の深度を増す。そして何より崩壊しつつある国語の授業を救う有効な手段になる。

読書と作文に新聞が加われば鬼に金棒である。

ところが、である。NIEを行っている学校は六〇〇校。全国の小中高校合わせて三万五千校の〇・〇二%である。

NIEは一九三〇年代にアメリカで始められ、現在世界八〇カ国以上が導入している。日本は一九八五(昭和六〇)年から始めた。もう四〇年経過している。

教育効果は初めから解っているのに、全く広がっていない。

一九五五年に始まった「朝読書」は当初一〇校ほどだったが、現在累計二万校以上になり学校教育に浸透している。

それに比べ、NIEはあまりに少ない。現在NIEは朝読書の時間やすきま時間を使って行われている。

正規の教育課題として認められていない。授業として時間割の中に入っていない。

文科省も学校も本腰を入れていない。実験段階は過ぎたのだから「いい」と解ったら指導要領に入れて本格的に取り組むべきなのに、学校教育はむしろ逆行し迷走している。


デジタル教育がSNS中毒を

文科省は毎年行っている学力テストをパソコンやタブレットを使った出題、解答に変えることにした。中学三年は来年から、小学六年は再来年から。

紙の筆記形式のテストが終了する。

教育のデジタル化が国の方針なので、教卓の授業も、先生の顔を見ながら勉強するのではなく、パソコンの画面を見ながら学習する方向に移行しつつある。スピード、正確、便利、省力化が目的である。

聞く力、話す力、読む力、話す力、理解力、思考力といった基本的な能力を身につけるのが学校教育の目的のはずだが、こうした目的は片隅に追いやられ、デジタルに強い子、AI競争に負けない人材作りが大目的になっている。

学校帰りの子供の無表情な顔を見ると、「失敗でした」では済まない暗い未来が見える。

NTTドコモの研究機関の最近の調査によると、中学生のSNS利用者は九十六%だという。

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)とは情報の交換と共有のためのシステムである。主なものにライン、インスタグラム、ティックトック、X(ツイッター)、フェイスブックがある。

小中学生全体では六十三%。小学生低学年は五年前は十一%だったが今回は三十六%。十人に一人が三人に一人に増加している。

SNSのうちでもラインの利用がトップで、女子中学生の九十四%が利用している。

本を読まず文章を書かないので、言語表現が貧弱。イイネ、キモイ、チョームカつくなどの汚い幼稚な言葉があふれている。

中学生の中には毎日数百件のラインが送られてそれのチェックと返事に忙殺されている人がいるという。網にかかった魚のようにそこから逃がれられない。その網の中で自分が制抑できなくなり心を病んでゆく。

これがいじめや詐欺犯罪の温床というのは飛躍しすぎかもしれないが、大人になっていく段階で、知識教養人格を身につけるという〝成長〟を阻害しているとしか思えない。

子供だけではない。

上司が変わった。新しい上司は部下をラインで管理した。夜でも休みの日でもひっきりなしにラインを入れてくる。部下は味気ない文言に返事をするのがイヤになった。「何が緻密なコミュニケーションだ、部下いじめじゃないか」。好成績をあげていた女性の営業部員は半年で会社を辞めた。上司は自分のラインが原因とは気づかない……。


手書きと習字を大事にする人

話を元に戻す。

手書きを貫いている人がいる。

新潟で武心教育経営塾を十数年間開いていた塾長近藤建の「武心塾だより」(令和六年六月一三一号)はA3の紙面全部が手書きである。

兵庫の新宮運送グループの木南一志社長が出している「こころ便り」(B4)は令和六年六月で二九一号、その裏面の「出合い」は全面手書きである。

お二人は複数の人に読んでもらうため、手書き原稿をコピーしている。もちろんお二人の手紙、ハガキはいつも手書きである。

近藤氏はまわりから「読みにくいのでワープロにしてくれ」と言われているそうである。

私の場合、吉岡(入社十七年、業務課長)というワープロ名人がいる。頼むと「えっ、もうできたの?」と驚異のスピードで仕上げてくる。それも誤植がほとんどない正確なデキである。本にする時はそのワープロ原稿を何回も推敲して完成させる。

削ったり挿入したりでぐしゃぐしゃの手書き原稿をワープロ活字にしてもらうと、新鮮な気持ちで読める。直しが入れられる。初期のもの以外、私の本はすべてこの過程を踏んで出されている。

武心だよりの文量は原稿用紙五枚程度。時間も経費もかからない。近藤さん、ワープロマスターは諦めて人に頼んだほうがいい。

手書きは自分の考えを率直に伝えることができる。心の状態まで伝わる。人は言葉で考える。一字一字確認しながら書くことが逆に言葉を増やし、思考に幅と深みをもたらす。

日本人の手書きは習字が起点である。

経営者養成研修では毎回朝食前の一時間、般若心経の写経を行っている。

書道師範下条尊雪による〝運筆〟の指導から始める。筆を持ったことがない人が多いので、筆の持ち方から指導する。一回目、二回目は手本を下敷きにしてなぞり書きする複写式である。慣れると手本を見ながら自力で書く。

写経は経典のコピー作業である。経典のない寺は奈良京都の寺に行って写させてもらった。一巻を写し終えればそれが寺の財産になった。当時、写経は僧や若僧の生産的な仕事であった。

研修で写経をするのは精神を集中してきれいな心になるためと、もうひとつ文字を一字一字ゆっくりていねいに書く体験をしてもらうためである。

十八ヵ月間で十六枚提出すれば満点のところ、第十六期卒業の㈱丸原自動車の原善一社長は四九五枚提出した。原社長に聞くと、「これをすると不安や悩みが吹き飛びます。読書量も増えました。考える力が伸びたかどうかは解りませんが、今も写経は続けています」と言っていた。

手書き教育を疎かにせず、今こそ力を入れていく重要課題である。


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